バイカーファッションは、たいてい一つの原則で説明されます。すべては声明のためではなく、まず身を守る装備として始まった、というものです。これはジャケット、ブーツ、グローブ、ヘルメットには当てはまります。しかしパッチやジュエリーについては、はるかに当てはまりが悪いのです。その起源は、よく語られる説明が認めているよりも曖昧です。Perfectoや、その周辺にある乗車専用に設計されたギアは、果たすべき役割があって作られました。ウォレットチェーンやメキシカンスタイルのリングは事情が異なります——どれほど自信たっぷりに語り継がれていても、その起源は確かな形で記録されてはいません。1900年代初頭に最初のライダーたちが鉄の馬にまたがって以来、このスタイルが実際にどのように형成されてきたのか、十年ごとに追ってみましょう。
バイカーファッションの黎明期
今日、モーターサイクルは誰にでも開かれています——男性も女性も、あらゆる職業や立場の人々に。しかし、かつてはそうではありませんでした。100年余り前、モーターサイクルは大きな買い物でした——1912年にはHenderson Fourが325ドルで広告されていました——とはいえ、ライダーたちはそれを楽しみのためだけでなく、仕事にも使っていたのです。
初期のモーターサイクルは、楽しみ、スポーツ、そして純粋な移動手段という役割を同時に担っており、やがてサイドカーによって家族用の乗り物にもなりました。とはいえ、サドルにまたがっているときでさえ、その装いはジェントルマンの服装として通用するものでなければなりませんでした。
当時の標準的なバイカースタイルは、最新のラスティック(田園調)ファッションに沿って仕立てられたツイードジャケット、風で髪が乱れないためのフラットキャップ、そして全体として清潔で身だしなみの整った佇まいでした。ライダーたちは保護のことも軽視してはいません——ハイブーツが、脚や足を怪我から守っていたのです。

登場から数十年を経て、モーターサイクルは本物の速度、俊敏さ、そして操縦性を手に入れました。ライダーたちは、その速度に加えて擦り傷や打撲を避けるための保護衣料を必要としたのです。
ガントレットグローブがハイブーツに加わったのは、まさにそうした理由からでした——高速走行時に手を温かく保つ役にも立ちました。初期の乗車用衣料は騎兵の軍装から多くを借りています——とりわけガントレットグローブとハイブーツがそうでした。
モータードローム・レースは1910年代初頭にはすでに観客を集めており、レース用およびクラブ用の服装は、その後の数十年を通じて着実に目につくものになっていきました。モーターサイクルクラブは、普段着や乗馬用の装備に頼るのをやめ、自分たちのレーサーのためのユニフォームを作り始めたのです。
その定番アイテムが——今日でもヴィンテージのファッションコレクションで目にすることができる——レーシングセーターでした。鮮やかな色使い、身体にフィットしたシルエット、そして胸元に編み込まれたクラブ名やブランド名。「Wrecking Crew」の愛称で知られたHarley-Davidsonのファクトリーレースチームは、お揃いのブランドロゴ入りセーターを着用し、1924年に設立されたAMAはライダーの登録と全国大会の公認を行いました。

レザージャケット
とはいえ、 バイカーの服装 は依然として実用性が十分とは言えず、雨や雪、風に対する保護はほとんど得られませんでした。やがて二輪愛好家たちは軍の制服、とりわけ飛行士たちが着ていたゆったりとした裁断のレザーオーバーコートを取り入れるようになります。レザーは冷たい風を遮ってくれましたが、コートの丈が長く角張った裁断のため、ライダーはサドルの上で窮屈さを感じていました。

1928年、アーヴィング・ショットは、同社が「最初の現代的なレザーモーターサイクルジャケット」と呼ぶものを世に送り出しました。1928年、ショットのお気に入りの葉巻ブランドにちなんで名付けられたPerfectoは、ロングアイランドのHarley-Davidsonディーラーを通じて5.50ドルで販売されました。
Perfectoは最も長く生き続けているバイカージャケットのデザインのひとつとなり、その斜めのジッパー、ベルト、ジッパー付きポケットは、ほぼ一世紀を経た今もなお模倣され続けています。

1940年代初頭までに、Schottのレザージャケットは十分な人気を得ており、アメリカ陸軍航空隊が戦時中に大口の発注を行いました。ただしそれは民間向けのPerfectoではなく、軍の独自仕様に沿って作られたフライトジャケットでした。与圧されていないコックピットでは、パイロットは高高度で本物の防風性能を必要としたのです。
制式採用されたA-2フライトジャケットは、前中心をまっすぐ走るジッパー、ウール編みの袖口とウエストバンド、そしてレザーの襟を備えており、斜めのジッパーとベルト付きウエストを持つ民間向けPerfectoとは異なるシルエットでした。どちらも風と外気にさらされるという同じ問題への答えでしたが、いずれも戦争から生まれたものではありません。民間向けPerfectoは1928年に、軍用のA-2は1931年に登場しています。
戦争が終わると、退役軍人たちは戦闘用のレザージャケットをクローゼットに残したまま帰郷し、しかも使えるお金を持っていました。その多くがHarley-Davidsonを購入し、風を防ぐようにジッパーを閉めた同じレザーをまとって国中を走りました。
帰還した退役軍人たちは、戦後に新しい世代のモーターサイクルクラブを築きました。とはいえ彼らが最初だったわけではありません。組織化されたアメリカのクラブは1900年代初頭から存在しており、1902年のAlpha Motorcycle Clubもそのひとつでした。ブラックレザーは戦後のクラブに広まり、やがて集団としてのアイデンティティを、そしてその上に大衆文化が築き上げたアウトローのイメージを象徴するものになっていきました。
Perfectoジャケットの代替アイテム
モーターサイクル文化は大西洋の両側で発展しましたが、とりわけ重要だったのがイギリスです。雨の多い気候が、耐候性のあるライディングウェアを求めさせたのです。レザーは風を遮り、擦れにも強い素材ですが、未加工のレザーは確実な防水性を持つわけではなく、水を吸ってしまえば重く冷たくなってしまいます。
1936年、ダンカン・バブアーはInternational Six Day Trials(インターナショナル・シックス・デイ・トライアル)のために、ワックスコットン製のワンピース型「International」スーツを発表しました。民生用ジャケットが登場したのは1947年で、斜めに配されたマップポケットが加わったのは1951年のことです。Internationalはモーターサイクル・トライアルの定番となり、その後数十年にわたってこの競技で存在感を保ち続けました。
1948年には、Scottish Six Days Trial(スコティッシュ・シックス・デイズ・トライアル)のために開発されたBelstaffのTrialmasterがその座を引き継ぎます。スティーブ・マックイーンもこのジャケットを所有しており、彼の私物は2006年のボナムズのオークションで約32,000ドルで落札されました。
一方、チェ・ゲバラが実際にBelstaffを着ていたかどうかは、より曖昧です。この結びつきの根拠は、Trialmasterに似ているというだけの一枚の写真にすぎず、Belstaff自身のマーケティングに登場するのも数十年後のことでした。

ブーツ
正確な年代については、ジャケットよりもブーツのほうがはっきりしています。Chippewaは自社初のエンジニアブーツを1937年としており、Wescoは1939年に製造を始めました——もっともWesco自身の説明によれば、「Boss」という名称が付いたのはそれから数十年後のことだといいます。
丈の高いシャフトは工業用の安全靴に由来するもので、Wesco自身の説明では、同社のモデルは軍需工場での作業や戦時中の船舶溶接と結びつけられています。いずれにせよ、このデザインは伝統的なイギリスの乗馬用ブーツから多くを借りており、モーターサイクルのライダーにも同じようによく適していました。
実用から生まれたジュエリー:ウォレットチェーンとカフ
バイカーたちは、ジュエリーがファッションになるのを待っていたわけではありません。まずは仕事をこなす、しっかりとしたアイテムがいくつか必要だったのです。ウォレットチェーンの役割は明白で、財布を衣服につなぎ止めるためのもの。そして、まずモーターサイクルと結びつき、後にパンクと結びついていきました。バイカーが実際にこれを取り入れた時期は、よく語られる1950年代の話がどうであれ、十分に記録されていません。100マイル手前で財布を落としてしまったなどという事態は、誰も説明したくないものでした。

パンクスは1970年代を通じて、チェーンをはじめ本来の用途から転用された金具類を、目立つファッションとして取り入れました。今日のライダーは、そのどちらの意味でも身につけています。 スターリングシルバーのスカルウォレットチェーン は、本来の役目を果たしながら、装いに重みを加えてくれます。
ブレスレットも、同じように実用から始まりました。幅広のレザーカフは早い時期からこのスタイルの一部になっています。よく耳にする説明——握力の疲労を抑えるためだった、転倒時の衝撃を和らげるためだった——については、私どもでは裏付けを得ることができませんでした。最終的にはバイカーやロックの装いにおける装飾品として定着しましたが、安全装備からブレスレットへと一直線につながる経緯は記録されていません。たとえば スターリングシルバーのスカルクロスカフ その原型となったリストガードから直接つながる系譜をたどることができます。
こちらの バイカーブレスレットコレクション では、細身のカフから重厚なチェーンリンクタイプまで幅広く取り揃えています。
ベスト
この流れを生んだのは、第二次世界大戦から帰還した退役軍人たちでした。戦後のライダーたちは袖なしのデニムベストやレザーベストを取り入れましたが、その主な目的はクラブのパッチを付ける場所を確保することでした。多くのモーターサイクルクラブが根を下ろしたアメリカ南部や南西部の暑い気候も、この移行を受け入れやすいものにし、デニム製のものもすぐ後に続きました。

こうした袖なしのベスト、いわゆる「カット」に、多くのクラブ——とりわけアウトロークラブ——は「カラー」を付けます。カラーとは、バックパッチ一式のことで、そこには次のものが記されています: クラブ、その所在地、そしてそのロゴが入ります。アメリカ全土の、やがては世界中のモーターサイクルクラブがこの形式を取り入れ、パッチで埋め尽くされたベストはレザージャケットそのものと同じくらい見分けのつく存在になりました。
大衆文化のなかのバイカースタイル
Perfectoは1953年まで、バイカーの世界の外ではほとんど知られていませんでした。この年、Marlon Brandoが「The Wild One」でギャングのリーダー、ジョニー役としてPerfectoを——Schott Perfectoの「One Star」を——着用したのです。作中の架空の団体Black Rebels Motorcycle Clubのために、衣裳担当がドクロと交差したピストンをあしらった架空のパッチを加えました。
このデザインは現実にも痕跡を残しました。翌年、シカゴの実在するOutlaws MCがほぼ同一の交差したピストンのパッチを採用したのです。Brandoのいでたち——ジャケット、ジーンズ、エンジニアブーツ、そしてキャップ——は、世間が思い描く「バイカー」の雛形になりました。このキャップはよく時代錯誤だと言われますが、そうではありません。当時のライダーやクラブは実際にキャップをかぶっていました。


その2年後、James Deanは別のかたちでバイカーに近いアイコンとなりました。彼は「Rebel Without a Cause」の撮影前に1955年式のTriumph TR5 Trophyを購入し、それに乗って撮影現場へ通っていました——ただし、そのモーターサイクルが実際に映画に登場することはありません。姿が見られるのは撮影現場外の宣伝写真だけで、たいていはDeanが本物のレザージャケットを着ています。
スクリーン上のジム・スタークが着ているのは、実はレザーではなく赤いナイロン製のウインドブレーカーです。ディーンのスクリーン外でのモーターサイクル像があまりに強烈だったために、この事実は時とともに忘れられていきました。いずれにせよ、その結び付きは定着しました——ほどなくアメリカの一部の学校ではレザージャケットが禁止され、撮影から間もないディーンの死は、このスタイルにまとわりつくアウトローの神秘性をいっそう深めることになったのです。

ヘルメットと保護装備
初期のクラッシュヘルメットは主にレース用のアイテムであり、路上での日常的なヘルメット着用は、着用義務が広まるまで限られたものにとどまっていました。それが少しずつ変わり始めたのは、T・E・ロレンス——「アラビアのロレンス」——が1935年5月、イングランドのボヴィントン・キャンプ近郊でモーターサイクル事故により亡くなってからのことです。
彼を担当した脳神経外科医のヒュー・ケアンズは、その頭部外傷を研究し、強力に働きかけた結果、イギリス陸軍は1941年11月までに軍のライダーにクラッシュヘルメットの着用を義務づけました。イギリス陸軍は1941年11月、所属のモーターサイクル乗りに対してクラッシュヘルメットを義務化したのです。
フルフェイスヘルメットが登場するのはさらに後のことで、素材もまったく異なるものでした。1960年代に発売されたBell Starは、シェルをファイバーグラスで成形し、内側にはフォームのライナーを備えていました——コルクではありません。ヘルメットは死亡や脳損傷のリスクを大きく下げますが、アメリカの法律は今なお州によって異なります。全乗員に着用を義務づけていない州では、2023年に観測されたヘルメット着用率は72%でした。つまり、着用しないことは決して一部の例外的な習慣ではないのです。
ロッカーズもまたレザージャケットを着こなす
バイカー映画がレザージャケットに脚光を当てると、ミュージシャンたちはバイカーファッションをそのまま取り入れるようになりました——快適さのためではなく、その佇まいのためです。フリンジ付きのレザーは、1960年代から1970年代初頭にかけてのカウンターカルチャーやウエスタン調の装いを貫いて流行しました。

1950年代の終わりにはGene Vincentが黒いレザーをまとってステージに立っていました。Elvis Presleyの最もよく知られたオールレザーのステージ衣装はそれより後、1968年のテレビスペシャルでのことです。このスタイルが本格的に広まったのは1970年代半ば以降でした。
1970年代半ばまでに、The RamonesはSchott PerfectoをCBGBでの制服のような存在にしていました。パンクはそれをさらに推し進め、ジャケット自体にスタッズやスパイク、チェーンを加えていきます。
この流行はパンクよりも長く生き続けました。1970年代から80年代を通じて、Kiss、Sex Pistols、Debbie Harry、Metallica、Accept、さらにはMadonnaやGeorge Michaelまでもが、ステージでレザーのアウターを着用しています。
バイカーリング:ナックルダスターからメキシカンコインまで
リングがこのリストの締めくくりです。ウォレットチェーンやブレスレットと同じく、リングもまた何らかの問題を解決するところから始まりました。重厚なリングはバイカージュエリーの視覚的な語彙の一部となっていきます。喧嘩の道具として取り入れられたという説はあらゆるところで繰り返されていますが、その裏付けはどこにも見当たりません。
その空白を埋めたのが、重く、中実のメキシカンリングでした。その重量感はイメージにふさわしいものでした——ただし合法性は法域によって異なりますし、リングが武器の合法的な代用品になるなどと当店が申し上げるつもりはありません。
どこででも目にする話はこうです。1940年代後半、南カリフォルニアの国境の町でバイカーたちがそれを手に入れた、そこでは職人たちが革命後の価値を失ったセンタボ硬貨を溶かして、大ぶりで装飾的なリングに仕立てていた、というものです。しかしその年代も、5ドルという価格も、アメリカのモーターサイクル文化へ入ってきた経路も、いずれも裏付ける資料がありません。
当店でも追跡してみましたが、その裏付けとなる一次資料は一つも見つかりませんでした——どの手がかりをたどっても、ジュエリー小売店同士が互いの記述を繰り返しているところに行き着くのです。当店もその一つです。革命期のメキシコに深刻な通貨不安があったのは事実ですが、それはセンタボ硬貨が一夜にして無価値になったことや、誰かがそれを溶かして指輪にしたことの証明にはなりません。
現代のものは溶かした硬貨ではなくスターリングシルバーやステンレスを用いていますが、メキシコらしい図像は受け継がれています——アステカやマヤの神々、馬蹄、鷲、スカルは今なお登場します。当店の シュガースカルとグアダルーペのメダリオンをあしらったメキシカンバイカーリング も、その二色使いの伝統を今に受け継いでいます。
ぜひ リングコレクション全体 をご覧いただき、最初のセンタボ硬貨の時代からこのスタイルがどこまで歩んできたのかをお確かめください。
バイカーファッション年表:要点版
物語の全体像を最初から最後までたどる、9つの年代をご紹介します。
| 年 | 出来事 | 内容 |
|---|---|---|
| 1913 | ツイードの時代 | ライダーたちは紳士服や乗馬用の装いを引き続き着用し、それに加えてゴーグル、ガントレット、ハイブーツを合わせていました。 |
| 1928 | Schott Perfecto | アーヴィング・ショットが飛行士用コートをモーターサイクル専用として初のレザージャケットへと仕立て直します。 |
| 1936 | Barbour International | Barbourが、International Six Day Trials 向けにワックスコットン製のワンピース型 International スーツを発表します。 |
| 1940年代後半 | メキシカンコインリング | 南カリフォルニアのバイカーたちが、価値の下がったセンタボ硬貨を鋳直して作られたとされるリングを身につけるようになります。 |
| 1941 | 軍用ヘルメットが義務化される | イギリス陸軍がライダーにクラッシュヘルメットの着用を義務づけます。きっかけは、1935年にアラビアのロレンスが事故死したことでした。 |
| 1948 | Belstaff Trialmaster | スティーブ・マックイーンをはじめとする人々が着用した、ワックスドコットンのジャケットです。 |
| 1953 | The Wild One | Marlon Brando が着た Schott Perfecto が、「バイカー」を意味する視覚的な記号となります。 |
| 1960年代 | Bell Star ヘルメット | コルクではなく、グラスファイバーとフォームで作られた最初のフルフェイス・モーターサイクルヘルメット。 |
| 1970年代半ば | Ramones とパンク | レザージャケットがロックンロールの制服となります——スタッズやスパイクも含めて。 |
このワードローブの多くは、果たすべき役目を持った装備として始まりました。それ以外のもの——パッチ、リング、チェーン——が意味を帯びたのはその後のことで、クラブや映画、音楽、ファッションによってもたらされたものです。そしてそれは、また別の種類の歴史だと言えます。
この物語のうち「保護」という側面は、歴史が語り終えるところで終わったわけではありません。現在のCEウェア規格、EN 1621のプロテクター保護レベル、ECE 22.06のヘルメット試験については、当店の プロテクティブ・バイカーウェアの最新ガイドでご紹介しています。
